記憶断片の復習


相手を殺したいほど(までいかなくとも)憎く思った瞬間をふっと思い出すことがある。
今更になってその人を糾弾するわけにも行かず、ただ頭から離れてくれることを思うしかない。
今になって、というのは自分の心の狭さや根の深さを露呈してしまうからである。
大抵の嫌悪や憎しみはその人にとってのみ正確に評価できる貨幣みたいなもので
他人から見たら時間の経過によってだいぶ小さなことになってしまっている。
(そうでない憎しみ・憎悪は法で裁かれるようなレベルのもの)
飲み込むには疲れるし、何もしないのも癪だからこうして特に評価が落ちないであろう場所で
こそこそと吐き出すわけである。
醜かろう。
しかしこれなら特に誰も傷つくまい。


その相手を守る必要などあるのか、という問いには無いと答えられる。
殴ったあとに悪くなる自分の立場を守っているだけだ。
それをエゴだ、と糾弾されることは無い。


年を経ることに我慢の数は増えていく。それは自分を守るためだったりする。