刹那、自分が自分でないかのように感じる。
「感じる」という表現が適切だ。
徹底して客観的になる感覚。
まるで自分の映像を外から覗いているかのように。


一瞬、私が誰であるか、何をしているのか、感覚を忘れる。
私たちは常に此処に居ることを感じ、自分が何をしているのか
何を考えているのか認識している。
それが他人のものであるかのように、全てからはなれる瞬間がある。
離人症、というの?


自己防衛本能かもしれない。悩みは切実だ。
勉強をしているとか一人でいるとか、特にじっとしていれば何も困らない状況ならいい。
授業をしているとき、人と話しているとき。
彼に寄り添っているときにその感覚が来ると一瞬で眼が覚める。
(熱が冷める?というわけではないか?)


決してストレスがかかっている辛い状況だけで起こるのではない。
不意にくるその感覚。
何処に行ったら治るのだろう。




私は何処に行っても私の居場所を失うことがない、と確信している。
それは経験則からなることであり、私の必死の抵抗が構築した砂上の楼閣でもある。
人が私を囲んでいたとして、そこから離れたら私なしでも完結したとして
しかし私が苦痛を得ないなら、それでもいいと思っている。
思うようになった。


そこにいなくちゃいけないというほど必要とされる場面がそうあるだろうか?
それに固執したとして私が必要とされるだろうか?


いなければ居ないで何とでもなる。
それだけの冷血さを人は容易に持ち合わせ、いつでも牙をむく。



執着しないことにした。執着すると傷つくから。



私が私でなくなる感覚は、私の逃げが作り出した産物だ。